世界をたびするたちとぬま

ポケモンGOが大好きな夫婦のブログです。

志村けんさん訃報に感じること

こんにちは。仮暮らしのアパートにてすっかり専業主婦になってしまったぬまです。

今日も今日とてテレビを見ながらお部屋のフローリングにクイックルワイパーをかけていたときのこと。

 

テレビから、志村けんさんの訃報

 

特段ファンだったとかいうわけではないのですが、、やはり少なからずショックは受けました。なんのショックだったのだろう。なぜショックだったのだろうと洗濯物を干しながら、お昼ごはんを食べながら考えていましたが、感じたことは「コロナ騒動はどこか他人事だったのかもしれない」ということ。

実際、インド帯同計画を崩されるという被害を受けているにも関わらず、どこか他人事というか、「自分は感染しないだろう」「まあ感染しても若いから大丈夫」みたいな考えが頭にあったことは否定できません。

もちろん、外出を控えたり手洗いうがいを徹底したりと予防対策はしておりました。

だからこそかもしれませんが、なんとかなるだろうという意識でいた自分を認識しました。

 

私の祖父母はまだ健在で普段はとっても元気ですが、志村さんより年齢は上だし同じ市内で感染者が出たというニュースもあります。いつ同じような状況になってもおかしくない、と不安になりました。たちも心配して仕事の合間にラインをくれました。

今日から、もう少し自分も当事者の一部であり、自分の大切な人を守るためにも考えて行動したいと思いました。

 

 

ちなみに。なんで志村けんさんの報せを受けて急に身近なものだと認識したのか?ということも考えていました。

コロナのニュースは連日報道され続けていましたが、「東京で〇〇人感染」とか「〇〇歳の女性が死亡」とか言われても心には刺さらず、それよりも「志村けん」というアイデンティティのはっきりした人の具体的なニュースだったからかもしれません。

 

そういえば前にたちとお互いの過去の恋愛話をしていたとき、どれくらいの期間付き合ったかとか、どんなことをしたのかとか、こんなひどい目に遭ったとかとか、いろんなことを聞いていました。何を聞いても「へーそうなんだwwうけるwww」としか思わなかったのに、お相手の女性が芸能人の〇〇に似ていたという情報が追加されただけで、それまでに聞いていた情報と合わさってお相手の人物像が具体的に出来上がってしまい大号泣したということがありました。笑

まあこれは私がおかしいのかもしれませんが、情報の具体性というか、どれだけ自分が物事を詳細にイメージできるかというのが情報の受け止め側にとって大きなものになるということを再確認した今日でした。